とりとめのないどうでもいい話

久々に脳内的ブログをば。
内容がないので読み飛ばしてくださいませ。



久々に過去のブログを見たり、
作ったはいいけどちょっとだけ更新して放置しているブログを発見したりして、
久しぶりに自分てこういうふうだったなとか、
そんなことをうだうだと考えたりしてみました。
思いつくままに書くので、わかりにくいと思いますがご了承をば。


うちのだんなさまはとにかくあっさりすっぱりとしておりまして。
悩んでも無駄なことは考えない!
ストレス耐性高め!
感情にあんまり流されない!
発言は回りくどくなくストレートに!*1
という言ってみれば(上の四つに関しては)私とは真逆の性質を持つ人で。
そういうだんなどのと暮らしたり、はたまた子育てに追われたりしていることもあり、
最近ではあんまり深く考えることがなくなっていたのでした。
ですがここのところ出張で不在がちなこともあり、
息子が寝付いた後、ふと考える機会があったので書くことにしました。


小さい時から鍵っ子で一人でいる時間の多かった私は、
いつの間にか瞑想にふけるというか、
そういう子供になっていったように思います。
言葉にせず頭の中でぐるぐると考える。
また両親はよくまじめな話をする人たちでした。*2
ニュースを見ながらあれはどうだこれはどうだ。
一緒に話すためには自分も同じように考え、話さなくてはならないので、*3
小さい子供ながら必死に考えながら話していた記憶があります。


私が生後三ヶ月の頃からずっと働いている母とは、
もちろん日中一緒にいることはできませんでしたが、
ときどき、夜ごはんの後片付けをする母の近くに腰掛け、
いろんな話をしました。
多くは結論の出ない話です。
内容をぱっとは思い出せないんですが、
考え方とか、価値観に関する話は度々出たように思います。
例えば母は資格を多数持っているんですが、
何のために資格を取るのか、何のために勉強するのか、とか。
本を読むことで得られるものとか。何のために本を読むのか、とか。
結論が出ないままに意見を交わし合うのです。
もちろん最初からそんな難しいことを話すわけではないんですが、
話しているうちにどんどんどんどん深いところに入っていくんです。
抜け出せなくなってしまいそうな感覚とともに、
霧の中にいるようなある種の浮遊感。
もちろん母と私は親子ですから考え方や価値観は似ていて、
話は大きくぶつかり合うことなく進んで行きます。
しかしたまに違う面が現れ、はっとさせられます。
それが新たな気付きとなるのです。
また、自分の気持ちをうまく言葉にできないときに、
相手がうまい言葉で代弁してくれたりとか。
そうそう!その言葉!そういうことが言いたかったんだよ!と。
そういう瞬間が楽しくて、夜な夜な話してしまう。
そんな20年間を親元で過ごしてきました。


さて、20歳で親元を離れた私ですが、
ある日気づいたのです。
母としていたような【深い話】をできる人が近くにいない!
その後ありがたいことに何回か深い話をする機会に恵まれます。


正直言って、私にとって身内以外と深い話をするのは怖いです。
私の価値観・考え方そのものを話すので、
私自身の脳内が丸裸状態になるわけです。
また、深い話はとてもエネルギーがいるのです。
霧の中を手探りで進んで行くような感覚で、
気付きを得られることもあれば得られないこともある。
話し終わったあとは、歩いたわけでもなく勉強したわけでもないのに、
どっと疲れるのです。脳みそがフル回転しているのかも。
そんなわけで真っ昼間からはなかなかできません。


そんなこんなで最近そういう話から縁遠くなってしまった私ですが、
息子も割と最近朝まで寝てくれるようになったので、
今度一時帰国した時には母との対談を復活しようかなあ、なんて思っています。
まあ、息子がきっちり寝てくれるとは限らないけれど。


子供が産まれると、ホントゆっくり考える時間が減ります。
起きてる時はまず無理です。
お腹すいたー、おっぱいー、アンパンマンの本読んでー、
などなど息子なりに精一杯訴えかけてくるので、そちらで手一杯です。
なので昔よりも話がテキトージャナイカ!と思われている方がもしいたらごめんなさい。
息子が寝た時でよければゆっくり話しましょう(笑)


あーなんかとってもくだらない記事でごめんなさい。
やっぱり内容がないな。








written by iHatenaSync

*1:とはいえ知り合った当初よりはだいぶやわらかくなったと思いますが

*2:主に父

*3:あまり場違いなことをいうと指摘されてしまう